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仕事を辞めるという選択(ヨガヒストリー⑤)

わたしのヨガヒストリー。今回でシカゴ編はおわり。シカゴでの経験を経て、私がだした結論とは…

◼︎前回までのお話◼︎

1年目のシカゴの暮らしは、まさに種まきで、勇気と勢いで、いろんなところに飛び込んだ日々でしたが、2年目に入ると、だんだんと友達や仲間と呼べる人たちが増え、コミュニティにも馴染んでいきました。

一緒にアフリカにいったみんなと、ギニアのアーティスト達を支援するNPOを立上げたり、日本が大好きなアメリカ人に日本語を教えたり、タイ人の友達の新規ビジネスを手伝ったり。

何かを共に真剣に取り組む仲間もでき、その場限りではない、家族ぐるみの交流がうまれました。

そんな毎日は、とても刺激的で、楽しくて。つぎは、どんな出逢いがあるのだろうと、胸を弾ませていました。

そんな矢先、シカゴ暮らしの2年目が終わるころ、夫の海外駐在の任が解かれ、それと同時に、わたしの休職期間も終了となりました。

▪️葛藤

本帰国ともに、職場に復帰。

それは当然のことのように思っていましたが、すこし立ち止まりました。

… わたし、本当はどうしたんだろう?

そのとき、わたしの中で、新しい道に進んでみたいという気持ちが芽生えていることに、なんとなく気づいていました。

しかし、神戸の上場企業、やり甲斐のあるポジション、安定した給与。12年間積み上げてきた社内の経験や人脈。それを手放すことへの恐れもあったのです。

職場に戻るつもりでいたので、新しい道といっても何か思い当たるものもなく。

こんな状況で、辞めるなんて…
待っていてくれた人に申し訳ない…
いままでのキャリアがもったない…
ゼロからスタートなんて、きっと、茨の道…

そんな言葉が、頭をもたげました。

▪️どんな生き方も選択できる

そんなとき、友人の言葉にハッとさせられます。

「ゆうきは米国の永住権はとらないの?」

シカゴの友人達は、多様なバックグラウンドを持っていて、国を離れ、米国で生きるチャレンジをしている人も少なくありませんでした。

慣れ親しんだ自国を離れ、新天地で生きる権利を勝ち取っていくことは簡単なことではないけれど、アメリカに来て、仕事を探し、信頼を積み上げながら、生きる道を探っているのです。

…そうか、わたしは、住む国でさえ、選ぶことができるんだ。

それは、わたしにとって、目から鱗の気づきでした。

わたし達は、生まれた時代も、環境も、親も、身体的特徴も、まずは与えられたままを受け取ります。

しかし、その生まれもった条件のなかで、そのあと、どう生きるかは、自分でデザインしていけるのです。

生きる国さえも、自らの意思で選択して、再スタートできるのなら、日本での再スタートが出来ないはずはない。

それならば、自分の心の奥深くにある、心の声に従って、選択してみよう。そこからみえる景色をみてみよう。

そして、わたしは、帰国後のことは何も決めぬまま、仕事を辞めるという決断をしたのです。

これも、家族の理解、わたしの意思を尊重し、温かく見守り、応援してくださる方々あってのこと。

溢れる感謝の気持ちとともに、この命を生かしきっていこうと、心に誓いました。

▪️いつでも心の真ん中に戻る、ということを教えてくれたひと

シカゴでの2年間は、道なき道を、自分自身の直感を信じて歩むという、チャレンジの場でした。

そして、そのチャレンジに、ずっと伴走してくれていたのが、わたしのヨガの先生、ルナでした。彼女は、いつもわたしに、心の真ん中(center of your hart)に戻ることを促してくれ、すべてはそこにあると、繰り返し伝えてくれました。

楽しいときも、辛いときも、ちょうどいい距離感で、そのとき必要なことを伝えてくれたルナ。

いまでも、ルナのヨガを伝える姿勢は、わたしのひとつの指針となっています。

シカゴ編は、ひとまず、ここでおしまい。次回からは、日本に帰国したあとのヨガヒストリーを綴っていこうと思います。

◼︎次のストーリーに続く…

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