いざ、ダーマミットラ師のもとへ(ヨガヒストリー⑩)
ダーマ先生のもとで学ぼう!と決めたわたしは、ニューヨークへ飛び立ちます。今回は、ダーマセンターでの、とにかく必死だったトレーニングについて綴っています。
◼︎前回までのお話◼︎
はじめて、ヨガを伝えるという役割を意識したのは、ヨガ通訳の仕事がきっかけです。この経験から、ヨガを本格的に学ぶ道がひらかれていきます。 ◼︎前回までのお話◼︎ 「ゆうきさん、シカゴで、ダーマヨガしてたんだよね?今度、ダーマヨガの先生が来日するんだけど...
■ ダーマ先生ってどんなひと?
Sri Dharma Mittra(ダーマミットラ師、ダーマ先生)は、現代ヨガの巨匠、The teacher for the teachers(先生達の先生)とも呼ばれる、現代に活躍する素晴らしいヨガの先生を数多く輩出した、世界でもっとも影響力があるヨガマスターのひとりです。
本質的なヨガを、現代に受け入れられるように、面白く、心地よく、効果高く、アレンジしていったダーマ先生の教えは、その後の欧米でのヨガの普及に多大な影響を与え、現在広がっている多くのヨガの流派にも、自然にその教えが受け継がれているようです。
ダーマ先生は、彼の師であるSwami Kailashananda(スワミ・カイラシャナンダ)のもとで、ヨガの伝統的な八支則とカルマヨガでヨガの修練を積み重ね、サンニャーシン(神を知るために世を捨てた人)として認めらたヨガ行者のひとりです。
そして、長年にわたって、師の助手として、専任のヨガ行者として、師の身の回りの世話をし、師の講義のアシスタントとして、献身的にアシュラムで師に仕えたそうです。
その後、アシュラムを去り、1974年にニューヨークに、ダーマヨガセンターを創立。約50年に渡って、いまも、ダーマヨガを伝えて続けています。
ダーマ先生お得意の頭立ちのポーズの写真や、908のポーズ(Master Yoga Chart of 908 Postures)などは、どこかでご覧になったことがある方もおられるかもしれませんね。
82歳(今日がお誕生日!)となった今も、現役で頭立ちしちゃうんだから、凄いおじぃちゃんです。笑。
偶然にも、わたしがシカゴではじめて習ったのがダーマヨガ。
シカゴのヨガの先生・ルナが、ダーマ先生のお弟子さんで、よくダーマ先生についての話を聞いていました。
日本に帰国後も、ダーマ先生の教えを受けているひとを探してぬんさんに出逢い、ダーマヨガを伝えるダフネの通訳をきっかけに、ダーマ先生のところまで導かれました。
その後、わたしのヨガの道をさらに深く導いてくれることになる師匠、アンドレ・ラム先生も、ダーマ先生の愛弟子です。
わたしのヨガ探究の道は、ダーマ先生によって切りひらかれていったようなものです。
ダーマ先生の印象は、とってもチャーミングで、子供のような純粋な心をもった、大きなひと。
わたしが、あまりに疲れて、休憩時間に大の字になって寝ているところに、変装して現れて笑わせてくれたり。
ぼくは、前世で、日本の侍だったことがあるんだよと言って、馬にのって敵から逃げている様子を、かっこよく演じてみてくれたり。
日本から来たわたしにも、たくさんの気持ちを寄せてくださる、愛のかたまりのようなひとです。
■ とにかく必死だったトレーニング
さて、わたしが参加した「Life of a Yogi 200hr Teacher training」は、ヨギーとしての生き方を伝える入門編といったところでしょうか。
入門編としたのは、200時間のティーチャートレーニングのあとは、500時間/ 800時間/ 1000時間のコースが続く最初の入り口だからです。
しかし、入門編とはいえ、世界各国から集まる受講生たちは、わたしのようなヨガ初心者はおらず、ヨガの先生や、ヨガを長年修練してきたひとばかり。
心の底から、どえらいところに来てしまった!!!…と叫びたくなったものです。。。
わたしにとっては、このトレーニングは、受講の申込みをするところから、高い壁がありました。
参加の事前課題は、日々のヨガの修練に加えて、課題図書が6冊、論文が2つ。もちろん、全て英語。
いまでは馴染みのあるヨガ哲学書ですが、当時のわたしには全く難解、チンプンカンプンで、それに加えて自分の視点で論文を書くという、まさにチャレンジングな課題でした。
なんとか、課題を提出してエントリーすると、つぎは、渡航準備。
ニューヨークの宿はとても高価。ダフネに相談して、香港からの参加者と相部屋をお願いし、滞在先を決めました。
トレーニング代、渡航代、宿泊費。投資するお金の工面も高い壁だったといえます。
それらを乗り越えて、ダーマセンターに、はじめて足を運んだときの、緊張感はいまでも鮮明に思い出すことができます。
遠くからようこそと、歓迎してくださり、ほっとしたのを覚えています。
しかし!
トレーングは、想像以上に、ハードでした。
トレーニング後のカルマヨガも含めると、6:30〜21:30のみっちりスケジュール。
終わってから、食材を買いにスーパーへいったり、食事をつくったり、洗濯をしたり、暮らしに必要なこともしなければなりません。
早朝のプラナヤマ、哲学、アーサナ、ティーチング、解剖学、ディスカッション、カルマヨガ。
全身が疲労で火照り、脳みそはぐらぐら。
特にはじめの3日ほどが、とても辛った。
すべてが新しく、何を学んでいるのかさえ、よく分からないまま、とにかく、ついていくだけで必死でした。
そんな環境のなかで、自分のもつ強さに驚いたり、情けないほど弱い自分に泣いたり、毎日いろんな自分を発見。
身体は疲れているはずなのに、内なるエネルギーは日に日に増していく感覚がありました。
そして、心、からだ、呼吸、祈り、瞑想、その全てがあってヨガであるということ。そこから溢れる慈愛。
「ヨガと何か」ということを、はじめて知る、洗礼のような体験だったと言えます。
■ この経験からわたしが得たもの
ヨガ初心者で、からだの準備もできておらず、ヨガ哲学の理解も浅いまま、世界中から屈強なヨギー達が集まるトレーニングにポーンと飛び込んでいったこと。
いま振り返っても、我ながら、無謀とも言えるチャレンジによく挑んだなーと思います。えらいっ!….と、褒めてあげたいです。笑。
初心者だから、ついていけなかったことも、理解できなかったこともたくさんあります。いま受けたらもっと深い学びが出来るだろうにとも思います。
しかし、初心者だったからこそ、受け取れたこと、感じられたことも、たくさんあったように思うのです。
それは言葉では表現しにくいのですが、エネルギー的なもので、ダーマ先生が放つオーラや愛、練習する場がもつ熱量、雰囲気、波動のようなのもの。
その何かを肌身で、赤子のようにただただ受け取っていました。
その時は、あまり理解できていなかったのですが、その後ヨガの道を進んできたいま、ダーマのもとで練習した経験が、進む先の光となっているように感じています。
修練を積み、悟りをひらき、たくさんのヨガの先生を育ててきた指導者が放つものは、ヨガのテクニックや、知識や、アーサナの凄さなんかを遥かに超えた、智慧と愛のかたまりなんだと思います。
偉大な師のもとで、最初にヨガを学べたのは、とても恵まれたこと。
その経験が、わたしがいまもヨガの道の奥深さに魅了され、探求する指針になっているのだと思います。
ダーマ先生と、素晴らしい講師陣、スタッフのみなさん。一緒に練習した仲間、特に辛いときにそばにいてくれたルームメイトのみんな。支えてくださったすべての方々に、心から感謝をしています。
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◼︎次のストーリーに続く…